今月の禅語

2025.5.25
其の六六
松樹千年翠 不入時人意 しょうじゅせんねんのみどり ときのひとのこころにいらず

 松の緑は四季を通じ、時を経ても変わることがない。人はその下を走りまわる。

 『禅林句集(ぜんりんくしゅう)』では「松樹千年翠(しょうじゅせんねんのみどり)」ですが、出典では「松柏千年青(しょうはくせんねんのあお)」になっており、意味も松や柏はいつも青いので注目されないが、牡丹の紅は一瞬なので皆の心がとらわれる、となっています。

 松の緑は四季を通じ、時を経ても変わることがありません。幾多の風雪にも屈することなく、緑を保ち続けています。松が私たちに語りかける千年も変わることのないその真実も、刹那の楽しみに興じて忙しく走り回っている世の人の心には届きません。

 松の姿だけでなく、古来から変わらないこの世の真実は、そこかしこに様々な形であらわれています。無限の財宝は棚ざらしになっています。そこに気づくか気づかないかは、実は受け取る私たちの側にあります。

 真理はいつも自分の目の前にある。もったいないことになかなか気づけないのですが、せっかく生まれてきたのですから、素晴らしい財宝に囲まれていることに気づいて、限りあるこの人生、心豊かな日暮らしをしてゆきたいものです。

出典:『嘉泰普燈録』巻二六「東禅蒙庵嶽禅師一則」

古澗寒泉を挙す。師曰く、雪峰、口従り入らず、松柏千年の青、時の人の意に入らず。

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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