今月の禅語

2026.2.20
其の七四
君看雙眼色 不語似無愁 きみみよそうげんのいろ かたらざればうれいなきににたり

さあ、私をご覧なさい。何も言わないから、愁いがないように見えるでしょう。

 白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師の言葉で、宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)禅師の七言絶句の起句「千峰(せんぽう)雨霽(は)れて露光冷(すさま)じ」に言葉をついだもの。宗峰禅師の句は「見渡すかぎりの山々、雨が上がり晴れて光が射してくると、雨露がキラキラと輝いている」というものです。この句を白隠禅師が「見てごらんその景色(目の色)を、もの言わない自然(人)は悲しみや悩みがないようでしょう」と解釈しました。

 これまでに悩み事がひとつもなかった、そんな人はまずいないでしょう。愛しい人と別れなければならない。憎い人と会わなければならない。求めても手に入らない。生きていれば老いて、病にかかり、やがて必ず旅立つ日が来ます。

 だれでも多かれ少なかれ悩みを抱えていて、それでも表に出さず生きています。自分だけではありません。一見幸せそうに見える人でも、何か心に悩みを抱えていることもあります。周りを困らせている人は、実は心に深い悩みを抱えていることが多いものです。そこに気づいた時、いつも見ていた景色や人が少し違って見えるのではないでしょうか。

出典:『槐安国語』

君看よ双眼の色、語らざれば愁い無きに似たり。

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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