西園寺について

 西園寺(さいえんじ)は過去の偉大な禅僧や歴史的人物等とはあまり縁のない地域住民のお寺です。江戸中期と昭和戦時下に2度の移転を経験しました。過去に様々な困難を乗り越えてきた先人たちや檀信徒皆さんの努力のおかげさまで多賀城笠神の地に寺観を整え今日に至ります。

西園寺が目指すのは、
仏事による安心を得られるお寺
人と繋がる安心を得られるお寺
文化交流・学びの場としてのお寺

です。

 地域の皆さんに支えられて西園寺の今があるということを忘れずに、禅の教えにより皆様が生きるうえでのヒントを得られるよう、寺を必要とする方には最大限応えられるよう努めてまいります。

沿革

黄龍山西園寺
開創年:1350~1400年頃
開山:大林宗茂和尚(松島瑞巌寺27世)
中興開山:仙林守廓和尚(仙台綱木の大梅寺より)
宗旨:(創立時)臨済宗建長寺派→(現在)臨済宗妙心寺派

 西園寺は松島瑞巌寺27世である大林宗茂(だいりんそうも)和尚(写真①)によって塩釜に開かれ、臨済宗建長寺派に属しました。資料が残っておらず詳細な歴史は分かりませんが、大林宗茂和尚の没年から考えると14世紀中には存在していたのではないかと思われます。創立当時からしばらくは臨済宗建長寺派に属し、時代の変遷の中で本寺である瑞巌寺が妙心寺派となり、末寺である西園寺も妙心寺派となっていったようです。

 住職不在の無住時代等を経て江戸の享保年間に仙台綱木の大梅寺から現在の法系の祖となる仙林守廓(せんりんしゅかく)和尚が入寺して西園寺中興開山となりました。1721年には赤坂(現塩釜市赤坂付近)から笠神上ノ台(現多賀城公園)に寺境を移しましたが、これは火災が原因との言い伝えがあります。明治初期の1881年には月叟宗圓(げっそうそうえん)和尚が笠神上ノ台の本堂を改築し、この茅葺き屋根の本堂(写真②)が全杲徽外(ぜんこうきがい)和尚により現在地へ移転する1943年まで使用されました。

写真①

写真②

 太平洋戦争末期の1942年(昭和17年)、西園寺のある笠神や中谷地地域が海軍工廠建設のための用地接収区域となり、戦時中の軍事施設建設という理由のため、強制的ともいえる立退きを余儀なくされました。地域住民と西園寺ともども戦時中の厳しい生活環境のなかで必死に尽力し、全杲徽外和尚は1943年(昭和18年)から終戦までかかって笠神上ノ台から3㎞程離れた現在地への移転を果たしました。

 何とか移転を果たしたものの戦時中の資材・労力不足の条件下では充分な工事は不可能であったため、昭和36~38年にかけて本堂基礎の再工事を行い、先々住職禅城一此(ぜんじょういっし)和尚は昭和44~45年に本堂の大改修(写真③)と庫裡隠寮、昭和56年に花園会館、平成元年には山門を整備しました。そして先住職実道東杲(じつどうとうこう)和尚のもとで平成18年に現在の新本堂が完成し、現在の西園寺の寺観ができあがりました。(写真④)

写真③

写真④