西園寺花ごよみ

2020.2.26
梅  ウメ - Prunus mume

 西園寺と同じ市内にある史跡多賀城は、奈良の平城宮、福岡の太宰府と並ぶ古代三大史跡。都が奈良の平城京に置かれていた約1300年前、「西の太宰府、東の多賀城」と称され、いずれも外交や防衛の要衝であったことから互いに深い関わりをもつ。とは言え平城京こそが国の中心であると考える都人にとっては、太宰府も多賀城もとてつもない僻地だったのだろう。延喜元(901)年、当時右大臣であった菅原道真が政略によって太宰府に左遷される際、自邸の梅の木に別れを惜しんで詠んだ有名な歌がある。

東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

 そして主人を慕う健気なその梅は、一夜にして太宰府に飛んで行ったというのが飛梅伝説である。

 梅は古い時代に中国から日本に持ち込まれ、以来日本人の生活に溶け込んでいったとされる。今では花というと桜を指すことが多いが、『万葉集』には桜よりも梅を詠んだ歌が圧倒的に多く、かつては梅が花の代表であったそうだ。令和という元号の由来となった『万葉集』収録の梅花の宴の歌の序文が記憶に新しいが、近世においても風流人は梅を愛し、同好の士を集って観梅の宴を開いた。そして、その宴の場が寺院の方丈(住職の居室)であることも珍しくなかったという。梅干しや梅酒、梅干しを日本酒で煮詰めた調味料である煎り酒など、花だけでなくその実も古くから日本人の食生活には欠かせないもの。「いい塩梅」なんて言葉もあるくらいで、とても好ましく身近な存在なのだ。

参考文献

鎌田茂雄監修『俳句・和歌・漢詩 仏教歳時記』斎々房、1998年。

藤原益栄『多賀城歴史歳時記』現代印刷出版、2019年。

松谷茂「京都北山 花景色」『同門』第534号、表千家同門会、2016年。