今月の禅語

2022.6.1
其の三五
明歴々露堂々 めいれきれき ろどうどう

はっきりと、一点の隠すところも無いでごわす。仏法に秘密なし。

 まるで西郷隆盛さんのような男性。眉毛はしっかり、目はぎょろっと、口は真一文字に結んで、一点の迷いも曇りもない様子で堂々と立っています。

 「歴々」は、けじめがついてはっきりと見てとれるさま。「堂々」も同じ。明らかな上にも明らか、何一つ隠れてはいません。真理はありありと露呈しています。花は紅(くれない)のままに、柳は緑のままに。山は高いままに、谷は低いままに。スズメはチュンチュン、カラスはカーカー。見るもの聞くもの、あるがままに余ることなく欠けることなく、この世の真実を示しています。

 禅の指し示す真理は深く遠く、かつ理解しがたく、そこに到達する実践も難しくて容易に人を寄せつけないように思われがちですが、究極の到達点に立ってみれば極めて簡明で一見平凡なものに過ぎない、ということを示す言葉です。

 仏法に秘密はありません。そこかしこに無限の財宝が棚ざらしになっています。どこからなりと自由にお使いください。

 

出典:『五燈会元』巻十九「成都府昭覚寺克勤仏果禅師」条

問う、明歴歴、露堂堂。甚麼に因ってか乾坤、收不得なる。師曰く、金剛の手裏、八稜の棒。

 

 

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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