今月の禅語

2020.4.1
其の十
冷暖自知 れいだんじち

実際にやってみなければ本当のことは分かりません。「あちちちっ」「冷たい!」ほらね。

 「冷暖自知」。冷たさや暖かさは自分で直接経験するほかに知る方法はありません。

 『血脈論』には、「道は声色に非ず微妙にして見難し。人の水を飲みて冷暖自ずから知るが如く、人に向かって説く可からず」とあります。道(真理)というものは、言語や形のあるものではなく、あらわしにくい。それはちょうど人が水を飲んではじめて冷たいか温かいかを身体で知るように、直接体験をした人以外に説き伝えることはできない、という意味です。たとえば水の温度を数字で示されても、それによって、熱い冷たいという感覚を知ったことにはなりません。もし、熱い冷たいという感覚を経験したことがなければなおさらです。しかし、たとえ数字を数えられなくても、自分で飲めば、おのずから熱いか冷たいかはわかります。熱湯を口にすれば、おもわず「アチチッ」と口をついて出るかも知れません。それはもう、他人のうかがい知ることのできない主体的な真実であります。

出典:『無門関』第二三則

今、入処を指授することを蒙って、人の水を飲んで冷暖自知するが如し。

 

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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