今月の禅語

2019.12.1
其の六
眼横鼻直 げんのうびちょく

目は横に、鼻は縦についている、何と素晴らしいこと。

 眼は横に、鼻はまっ直ぐについています。ありのままの事実。すべてのものは各々そのところに安住して、しかも互いに侵すことはありません。あたり前の事実を、ありのままに受け入れるということ。

 曹洞宗の開祖である道元禅師は中国(当時の宗国)に渡り、天童山の如浄禅師のもとで禅を学びました。悟りを得て日本に帰って来た時、最初の説法の場で次のように言いました。

 「ただ天童山の如浄禅師と巡り会うことができた。そこでは眼は横に鼻はまっ直ぐにという、あるがままのことがしっかりと分かり、余計なことに惑わされることはなくなった。つまり、わざわざ中国まで行ったが、ありがたい土産などもなく、手ぶらで帰ってきたというわけだ。そういうわけで、ことさらに示す仏法などというものは、ひとかけらも有りません。」

 現代を生きる私たちは、とかく物事を難しく考えすぎているのかもしれません。ただ、目は横に。鼻は縦に。

出典:『禅林類聚』巻六

竺国支那、咸な印定す、更に毫髪も参差すべき無し。眼横鼻縦、天下に喧し、一頓の残羹、求めて飢えず。

© Since 2018 Jidanda

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
☎0855-42-0830(隆興寺) mail:Seki56old@iwamicatv.jp