今月の禅語

2022.11.1
其の四十
張公喫酒李公醉 ちょうこうさけをきっすれば りこうよう

八っつあんが酒を飲んだら熊さんが酔っぱらった。わたしがあなたであなたがわたし。

気のおけない親しい友とお酒を酌み交わすのは楽しいことです。張さんがお酒を飲んでいると…あれ、向かいの李さんが酔っぱらったようです。

「張公酒を喫すれば李公酔う」。「張公」は張さん、「李公」は李さん。二人かと思えば一人。一人かと見れば二人。ひとたび無心になりきって一枚平等の境地を体験し、そこからもう一度この差別ある世界に立ち返った時、時間も空間も自他も超越した、無執着(むしゅうじゃく)の世界における自由自在のはたらきが生じます。

「わたしがあなたであなたがわたし」という世界が開けてきます。自分と他人は二つならず。「自他不二(じたふに)」、あるいは「不二(ふに)の妙道(みょうどう)」とも言われます。あなたの苦しみは私の苦しみ。あなたの喜びは私の喜び。自分の親や子どもに対してだけでなく、どなたに対してもそういう境地を持つことができたなら、お釈迦様と同じ視線でこの世を見ることができるでしょう。

出典:『五燈会元』巻一五「隨州双泉山師寛明教禅師」条

僧問う、新年頭、還って仏法有りや、也た無きや。師曰く、無。曰く、日日是れ好日、年年是れ好年。甚と為てか却って無きや。師曰く、張公酒を喫すれば、李公酔う。

 

 

 

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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