今月の禅語

2022.3.1
其の三二
山花咲野鳥語 さんかわらい やちょうかたる

山の花々は咲きほこり、野鳥がさえずっています。大自然の無心の営みがこの世の真実を示します。

 ベンチに腰をかけてゆったりとくつろいでいるのは親子でしょうか。公園は草木が萌えいずる好時節。色とりどりに花は咲きほこり、新緑とあいまって何とも言えず爽やかです。それを喜ぶかのように鳥がそこかしこに姿をみせ、楽しそうに何か語りあっています。親子はそんな豊かな自然のまっただ中に生きている幸せに気づき、満面の笑みをうかべて極楽浄土はここにありと楽しんでいるようです。当たり前の光景にも見えますが、受け取るこの親子の心が落ち着いていて豊かであるからこそ、何気ない自然の素晴らしさに気づくことができるのでしょう。

 「山花咲(わら)い野鳥語る」。春の麗かな情景を歌った句です。天地自然のありさま。季節がくれば山の花は自然に咲きほこり、そして、そこに野鳥が谷から出てきてさえずる。そのままが無心の姿。何のはからいもありません。「どれからなりとご自由に」と惜しむことなく春が一杯。この無心な天然の姿に学んでゆきましょう。

出典:『禅林句集』

山花咲い、野鳥語る。

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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