今月の禅語

2023.10.5
其の五十一
入鄽垂手 爲人度生 にってんすいしゅ いにんどしょう 

 街に出て寝つ起きつ、人々と苦楽を共にする。あなたの苦しみはわたしの苦しみ。

 『十牛図(じゅうぎゅうず)』という禅の書物があり、悟りに到る十のプロセスが示されています。私たちが本来持っている「仏の心」を「牛」にたとえています。仏心(牛)を尋ね、見つけ、自在に操ることができたら、何もかも忘れて無の境地に到達するとされますが、おもしろいことに、それが修行の終わりではなく、最終目標は「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」です。

 「鄽(みせ)に入って手を垂れる」。「鄽」は住居やお店。人の生きる場所です。修行が進んだからといって、「私とあなたは違うのです」と上座ですましているようなことではいけません。今まで得てきたものをさらりと捨てて、皆と一緒に泣いたり笑ったりして暮らしてゆく。「うれしいね」「それは困ったね」と苦楽を共に生きていく。それが「人の為に度生(どしょう)する」ということ。

 自分が心の安らぎを得られたら、それだけで満足せずに、まわりの人をも幸せにしてゆけるような生き方をしたいです。「なぜかあの人に会うと心安らぐ」と言われる人になってゆく。それが禅の修行の行き着く先です。

出典:『十牛図』第十

入鄽垂手。

 

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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