今月の禅語

2023.5.1
其の四六
萬法帰一 一亦不守 まんぼうきいつ いつもまたまもらず

 すべては究極のところ、一つの道理につながっています。しかしその道理も、ひとつところにとどまらない。

 「万法(まんぼう)」はあらゆる存在や物事。それが「一」、ひとつだというのですから、ご飯を食べるのも、お茶を飲むのも、寝るのも起きるのも、一挙手一投足(いっきょしゅいちとうそく)がすべてひとつ。複雑に見えることも元をただせばシンプルなのだ、そこをしっかり押さえろ、ということです。

 また、『法句経(ほっくきょう)』には「森羅万象、一法の所印」、あらゆる現象は唯一の真理に帰着する、という言葉もあります。そして『六祖壇経(ろくそだんきょう)』によれば「一切の万法は、自性を離れず」、つまり一切の現象は自らの一心に他ならないのです。

 しかし、気をつけなければならないのは「万法帰一(まんぼうきいつ)」を大事にする心が、また執着(しゅうじゃく)になります。「一もまた守らず」、得ては捨て得ては捨て、ひとつところにとどまらずに生きていく。様々な出会いに感謝しながら、様々な別れを惜しみながら、やがて力尽きるその日まで、後ろを振り返らずに前へ前へと歩んでゆきたいものです。

出典:『禅林句集』

万法、一に帰す、一も亦守らず。

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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