今月の禅語

2022.2.2
其の三一
吾道一以貫之 わがどう いつもって これをつらぬく

私の人生、ただひとつの道を歩みます。ひたすらに、力尽きるその日まで。

 ここには道を求めて旅を続ける修行者が身につける網代笠(あじろがさ)と草鞋(わらじ)が描かれています。その後ろは五輪の塔。お墓でしょうか。

 「吾が道」はわが人生。ひとつの信じる道をひたすらに、やがて力尽きるその日まで、全人生をかけて生きてゆく。誠に清々しい、まっすぐな生き方です。脇目もふらず、「これでいいんだ」と信じて迷いのない人生を送ることができる人は幸せなのだと思います。清濁あわせ呑み「毒を食らわば皿まで」と貫徹して生きる姿勢にはあこがれます。

 このように、禅語として用いられる場合はひたむきに生きる意味が強められますが、孔子の教えでは「吾が道、一以て之を貫く」の一とは「忠恕(ちゅうじょ)」、つまり他に対して深い思いやりの気持ちを持つこと。頑固一徹に自我を通すことではありません。柔軟に対応することが大事。毅然とした姿勢がその背景にあるのはもちろんですが。

出典:『論語』「里仁」篇

子曰く、参や、吾が道、一以て之を貫く。

 

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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