今月の禅語

2020.3.1
其の九
光陰可惜 こういんおしむべし

時間はあっという間に過ぎていきます。今できることは今、かけがえのない今を大切に。

 時間を大切にしましょう。この世には常に存在するものなど何一つとしてありません。人生もまだまだ先があると思っているうちに、いつの間にか終わりが近づいてしまいます。

 禅寺には打板という木の板があり、これを打って時刻を告げるのですが、そこにはよく、「生死事大(しょうじじだい)、無常迅速(むじょうじんそく)、光陰惜しむ可し、時人を待たず」(中峯和尚座右銘)などと書いてあり、修行僧たちに警鐘を鳴らします。私たちはこの世に生まれた以上、時々刻々と死に向かって進んでおり、時間はあっという間に過ぎ去ってしまいますから、ぼやぼやしてなどいられません。しっかりと目を覚まして、一瞬一瞬を大切に過ごしたいものです。

 北宋の朱熹(しゅき)が作ったとされる有名な詩に「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んず可からず」とあります。「若い頃はいつしか過ぎ去りすぐに年老いてしまうが、学業はなかなか成就しないものであり、わずかな時間も軽んじるべきではない」という意味です。

出典:『臨済録』示衆

因循として楽を逐うこと莫れ。行員惜しむべし、念念無常なり。

 

 

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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