今月の禅語

2022.10.8
其の三九
一葉落知天下秋 いちようおちて てんかのあきをしる

自然の小さなうごきが世界の大きな動きを映しています。小さな葉っぱの大きなお知らせ。

 平安貴族の装束(しょうぞく)をまとった人が木の下にただずんでいます。そこに、小さな葉が一枚落ちました。ああ、秋だなあ。

 「一葉」とは一枚の葉っぱです。目の前に落ち葉が一枚はらりと地面に落ちる。小さな、なにげない自然の一風景です。忙しくて慌ただしい日常を過ごしていると、気づかずに通り過ぎてしまうような、かすかな自然の動きがあります。心を落ち着けて、ゆったりとした気持ちでいれば、葉っぱが一枚はらりと落ちた、そこに大きな、世界一杯の、天地一杯の秋を感じる心があります。おおきな心を持てば、時間を超え、空間を超えて自由自在にこの世をかけめぐることができます。子どもに会えば子どもの気持ちになれる。お年寄りに会えばお年寄りの心に寄り添ってゆける。

 そんな豊かな心を持つことができれば、そのまま幸せになれるのだと思います。見るもの聞くもの、すべてが自分の庭であり、大自然に同化して、すべてのものに祝福されていることに気づくことができるでしょう。

 

出典:『准南子』「説山訓」

一葉の落つるを見て歳の将に暮れなんとするを知り、瓶中の氷を睹(み)て、天下の寒きを知る。近きを以て遠きを論ずるなり。

 

 

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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