今月の禅語

2023.6.1
其の四七
鞍上無人 鞍下無馬 あんじょうひとなく あんかうまなし

 鞍の上に人が乗っていないかの如く、鞍の下に馬がいないかのようだ。自由自在にこの世を駆けめぐる。

 人が馬を乗りこなし、人と馬とが無心にして一体になることのたとえです。乗馬の達人は、乗る自分も乗られる馬もなく自由自在に駆けめぐることができます。

 自転車もそうです。初めは上手くバランスが取れずすぐに転んでしまい、まっすぐ支えることすらままなりません。しかし慣れてくるとバランスをとろうと思わなくても、自分と自転車が一体になって、自分の手足のように進むも曲がるも自由自在となります。

 これは乗馬や自転車の話だけでなく、生きる上での秘訣でもあります。自分と環境が別物でなく、一体となって無心に働いてゆける智慧があります。自分と相手の区別なく、「わたしがあなたであなたがわたし」と一体となって接してゆくことができれば、そこに幸せに生きる鍵があります。自由自在にこの世を駆けめぐることができます。自分と他人が一如一体(いちにょいったい)の、無心三昧(むしんざんまい)です。慈しみの心はそこから生まれます。

出典:『禅林句集』

鞍上に人無く、鞍下に馬無し。

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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