今月の禅語

2021.1.8
其の十九
行住坐臥 ぎょうじゅうざが

人生、何も難しいことはない。步いて停まって坐って寝る。たったそれだけ。

 仏教の説く戒律や規則を守っていく中で、行く・住する(止まる)・坐る・臥す(寝る)を注意深く行うこと。転じて、日常のすべての立ち居振る舞いを意味します。これは仏教用語で「四威儀(しいぎ)」といわれ、『華厳経』等に見えます。

 仏教の修行というものは、坐禅の時だけとか、老師(指導者)とのやりとりの時だけとか、限定的な期間を指すものではありません。横になって寝ている時でさえ、どんな時でも常に一呼吸一呼吸・一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)すべての起居(ききょ)動作の中に修行があるとされます。

 人生を歩むことは難しいことのようですが、本当にそうでしょうか。私たちは、日々様々なことを考え、様々な行動をしているように思えますが、突き詰めて考えれば、歩いているか、止まっているか、坐っているか、寝ているか、すべてこれらのいずれかに当てはまります。わんちゃんも、無心に行住坐臥を行じています。人生、たったそれだけのこと。考えすぎると、かえって道を誤ります。

 

出典:『雲門広録』巻一

我、且らく爾に問わん、十二時中、行住坐臥、屙屎送尿より、茆坑裏の虫子、市肆に羊肉を売買する案頭に至るまで、還って超仏越祖底の道理有りや。

 

 

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
☎0855-42-0830(隆興寺) mail:Seki56old@iwamicatv.jp