今月の禅語

2020.1.3
其の七
活潑潑地 かっぱつぱっち

ぴちぴちとはねる魚のように、活き活きと元気一杯に生きてゆきましょう。

 いのちいっぱい生きていますか。その方向は間違ってはいませんか。

 時に浮世の歩みをとめ、ゆったりと自然の世界を見渡してみてはいかがでしょう。そこでは様々な植物がゆっくりと、しかし着実にそのいのちをまっとうし、動物たちは敏捷に、そして活き活きと動き回っているのに気づきませんか。皆が精一杯生きています。生命力の出し惜しみをしているものなんぞありません。そのいきいきと躍動する生命のすがたに気づくことができたら、つまらぬことに身を削るばかばかしさにも気づくことができるかも知れません。持てる力に気づかないのか、意図的にセーブしているのか、そんなつまらぬ自分に気づくかも知れません。

 もともとはぴちぴちとはねる魚の姿を写したこの言葉。なんにも気兼ねなどせずに溌剌と、そして活発にいきましょう。天にいっぱい地にいっぱい。天真爛漫に、このいのちを使っていきましょう。

出典:『臨済録』示衆 

你、若し生死去住、脱著自由ならんと欲得せば、即今聴法する底の人を識取せよ。無形無相、無根無本、無住処にして、活潑潑地なり。

© Since 2018 Jidanda

 

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
☎0855-42-0830(隆興寺) mail:Seki56old@iwamicatv.jp