今月の禅語

2020.10.1
其の十六
啐啄同時 そったくどうじ

親鳥は外から、ヒナは中からつつきます。時機を見はからい息をあわせて。

 意気投合した絶妙な時機(タイミング)。機を得て両者が応じ合うことをいいます。

 「啐(そつ)」とは、雛がふ化する時に殻の内側からつつくこと、「啄(たく)」は、親鳥が殻の外側からそれを助けてつつくこと。この啐と啄とにより殻が破られて雛が産まれます。そのタイミングが大事であり、早すぎても遅すぎても雛の命は失われます。また、双方のつつき方が互いに強すぎても弱すぎてもいけません。つつく所も合っていなければなりません。啐と啄、双方の呼吸がピタッと符合した時、初めて殻が破られるのです。

 悟りもそうしたもの。師は育んできた弟子の修行が熟した時を知り、時を得て悟りの機会を与えます。弟子も修行を積んで力をつけ、それに呼応できなければ、その機会も役には立たないことでしょう。親子や夫婦、友人同士や、上司と部下、主人と客人の間も同じです。何も言わなくてもお互いに分かり合える。そんな人間関係を築きたいものです。

出典:『碧巌録』第一六則

(鏡清)衆に示して云く、大凡そ行脚する人、須く啐啄同時の眼を具し、啐啄同時の用有って、方めて衲僧(のうそう)と称すべし。

 

 

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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