今月の禅語

2020.9.1
其の十五
且坐喫茶 しゃざきっさ

まあ、お茶でも飲んでいきなされ。さあさあお掛けになって。

 おじいさんが縁側に坐り、穏やかな笑顔でお茶を勧めてくれています。且坐喫茶。「且(しばら)く坐して茶を喫せよ」と訓読いたします。相手の緊張を和らげる意図で用いられます。また、肩肘張らず、ありのままでいることの大切さに気づかせる言葉でもあります。日常的な意味で、急いた心を落ち着かせて一息いれることを勧める言葉として受け取ることもできます。日本では「喫茶去(きっさこ)」も同じ意味で解釈されています。

 まぁ、ゆるりとやりなさい。元々は、勇み立つ修行者に対し、急かずにゆっくりやりなさい、と気分を緩める言葉でした。いきりたって高い境地の呈示を急ぐのは、心が動いている証拠。これをたしなめて、自然体でいけということです。雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師がしばしば用いたことでも知られます。

 一日一度は静かに坐って、体と呼吸と心を調えましょう。急がば回れ。良き智慧は、調った心から生まれます。

出典:『臨済録』行録

平云く、子が這の一問、太高生。師云く、龍、金鳳子を生じ、碧琉璃を衝破す。平云く、且坐喫茶。

 

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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