今月の禅語

2020.2.1
其の八
賓主互換 ひんじゅごかん

わたしがあなたであなたがわたし。よくあることで。

 おや、犬の散歩でしょうか。人と犬が歩いています。よく見ると、人が犬に散歩してもらっているようです。

 互いに主となり賓となる。賓とは客人、主とは主人のこと。自分と相手、敵と味方、先生と生徒、主観と客観、自己と自己を取り巻く環境など、あらゆる相対するものに置き換えて捉えることができます。 

 相対するもの同士の区別は、時と場合に応じて、あるいは立場や見方・基準などによって入れ替わります。価値観も決して固定的なものではありません。例えば、犬を散歩させているつもりでも、もしかしたら犬に散歩させてもらっているのかも知れません。教師が生徒を教えているつもりでも、教師が生徒に教えられていることもあります。他人を救っているつもりでも実は自分が救われていたりもします。

 時には主となり、時には客となり、光ともなり影ともなる。相手のことを思いやる慈しみの心や譲り合いの気持ちも、わたしがあなたであなたがわたし、その心から湧き起こるのではないでしょうか。

出典:『碧眼録』第三六則

古人の出入、未だ嘗て此の事を以て念と為ずんばあらず。看よ他の賓主互換、当機直截して、おのおの相い饒るさざることを。

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この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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