今月の禅語

2021.12.1
其の二九
平常心是道 びょうじょうしん これどう

なんのてらいもない当たり前の心、そこに本当の生き方があったよ。

 家財道具が濡れちゃう!カルタ(上)では、右往左往する人を尻目に、ワンちゃんは泰然自若(たいぜんじじゃく)としています。

 平常心これ道。人は仏道を求めてあくせくしますが、それはどこか遠い到達点にあるのではなく、自らの日常の心にほかならない、という大肯定の思想をあらわす言葉です。普段の当たり前の心こそが仏の道であります。仏道とはなにか特別なことではなく、行住坐臥(ぎょうじゅうざが、十九参照)の日常生活そのものにほかなりません。何の造作を加えることもなく、これは良くてあれはだめというこだわりを離れた、たった今の心こそが悟りであるということです。

 馬祖道一(ばそどういつ)禅師によって初めて言われ、その後の禅思想を貫く根本命題となった有名な言葉。千利休は「茶の湯とはただ湯をわかし茶を点てて飲むばかりなるものとこそ知れ」という言葉を残しています。体と呼吸と心を調え、常に平らかな気持ちでいるならば、道は近きにあります。

出典:『無門関』第一九則

南泉、因みに趙州問う、如何なるか是れ道。泉云く、平常心是れ道。

 

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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