今月の禅語

2023.9.5
其の五十
四十九年 一字不説 しじゅうくねん いちじふせつ

 お釈迦様は四十九年間、法を説かれたあげく、「わしは一字も説いておらん」と。こりゃいかに。

 お釈迦様は、この世には逃れられない「生老病死(しょうろうびょうし)」の苦しみがあることに悩み、出家して菩提樹のもとで悟りを開かれました。それから諸国を巡って幾星霜(いくせいそう)、実に四十九年もの間、悩める人々に教えを説きに説いてこられました。それなのに亡くなられる間際になって、「私は悟りを開いてからこれまでの間、一字も説いていない」と言われたと伝えられています。

 禅宗の成立根拠の一つである『楞伽経(りょうがきょう)』に、「世尊はある時悟りを得てそれから涅槃(ねはん)に入るまでの間、一字も説かなかった」という表現があります。

 私は良いことを言った、人の役に立った。私たちはともするとそんな思いにとらわれがちです。「あれもやった、これもやった。やったやったで地獄行き」ということわざもあるように、見返りや功徳を期待したり、功績を誇ることも自分の行為に対する執着(しゅうじゃく)です。

 一切のはからいや、作為のない心から説かれるものこそ真実の言葉であるということです。

 

出典:『碧巌録』第二八則

釈迦老子、出世して四十九年、未だ曽て一字を説かず。

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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