今月の禅語

2024.11.15
其の六十
直指人心 見性成仏 じきしにんしん けんしょうじょうぶつ

 ずばっと心を指し示し、人を安心の境地にみちびく。それ、それだ!

 「直指人心(じきしにんしん)」、端的に心そのものを指し示し、「見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」、本来そなわっている仏性(ぶっしょう)を徹見(てっけん)し仏道を成就させる。教理や経典に頼らず、師と弟子が直接向かい合って具体的なやりとりの中で仏法の真髄を伝授し悟らせること。

 ある時、達磨大師のところに神光(じんこう/後の慧可〈えか〉)という学僧がやってきて、「どうか私の心を落ち着かせてください」と問うと、達磨は「その不安な心を持ってきなさい。落ち着かせてあげよう」と答えました。神光は一夜思案しましたが、翌朝「不安な心を探しても、とらえることができません」と答えました。そこで達磨は言いました。「それだ!とらえることのできない心こそ君の心なのだ。私はすでに、君の心を落ち着かせてあげたよ」。神光はそれを聞いてはっとしました。とらえることができないということは、固定した不安な心など初めからなかったのです。

 自分に本来備わっている物心を「それだ!」と直接指し示し、安心の境地にみちびくのが禅の宗旨です。

 

出典:『碧巌録』第一則

達磨、遥かに此の土に大乗の根器有るを観て、遂に海を泛って得得として来たり。心印を単伝して迷塗に開示す。不立文字、直指人心、見性成仏と。

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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