今月の禅語

大自然に囲まれた家の垣根のそばの菊を採って、ゆったりとした気持ちで南山をみわたす。
陶淵明(とうえんめい)「飲酒二十首」の一つです。
世の中のわずらわしい事柄から離れて静かな生活を送る。庭先で菊を摘み、ゆったりと南の山を見ている、そんな姿です。悠然としているのは南山でしょうか、自分でしょうか。
大自然の中で心おだやかに、悠然と自然の息吹を感じる。大いなる命に抱かれていることに気づいた時、見るもの聞くもの、すべてのものはありのままに救われているんだ、と会得することでしょう。仏法世法、共に超越した心静かな人の境地を示しています。
さらにこの後、「山気日夕(さんきにっせき)に佳(よ)く、飛鳥(ひちょう)相い与(とも)に還(かえ)る。此の中に真意有り、弁ぜんと欲して已(すで)に言を忘る」と続きます。澄み切った冷気の中にたたずんでいると秋の夕暮れが迫ってきて、ふと人生の意味を悟ったかに思えたけれど、言葉にあらわそうとしてもできなかった、という意味です。陶淵明の言葉は多く禅語にとり入れられ、仏道をきわめた人の境地をあらわすものとして広く知られています。
出典:陶淵明「飲酒」その五
廬を結んで人境に在り、 而も車馬の喧しき無し。君に問ふ何ぞ能く爾るやと、心遠ければ地自づから偏なり。菊を采る東籬の下、悠然として南山を見る。山気日夕に佳く、飛鳥相い与に還る。此の中に真意有り、弁ぜんと欲して已に言を忘る。
この連載について
禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。
禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。
「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。
ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。
「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学
禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
☎0855-42-0830(隆興寺) mail:Seki56old@iwamicatv.jp
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山花開似錦 澗水湛如藍
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風定花猶落 鳥鳴山更幽
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一華開五葉 結果自然成
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直指人心 見性成仏
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教外別傳 不立文字
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諸悪莫作 衆善奉行
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心外無法 満目青山
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金屑雖貴 落眼成翳
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龍吟雲起 虎嘯風生
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潜行蜜用 如愚如魯
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從門入者 不是家珍
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好雪片片 不落別處
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入鄽垂手 爲人度生
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四十九年 一字不説
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銀碗盛雪 明月藏鷺
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如撃石火 似閃電光
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鞍上無人 鞍下無馬
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萬法帰一 一亦不守
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天上天下 唯我独尊
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至道無難 唯嫌揀擇
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劍去刻舟 守株待兎
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應無所住 而生其心
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一日不作一日不食
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張公喫酒李公醉
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一葉落知天下秋
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十字街頭破草履
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朝聞道夕死可也
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説似一物即不中
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明歴々露堂々
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空手來空手去
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瞋拳不打笑面
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山花咲野鳥語
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吾道一以貫之
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日々是好日
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平常心是道
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一鏃破三關
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壺中日月長
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大道透長安
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獨坐大雄峯
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好事不如無
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歩歩清風起
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把手共行
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己事究明
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安心立命
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行住坐臥
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不易流行
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灰頭土面
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啐啄同時
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且坐喫茶
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一期一會
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行雲流水
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拈華微笑
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廓然無聖
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冷暖自知
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光陰可惜
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賓主互換
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活潑潑地
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眼横鼻直
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照顧脚下
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主人公
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莫妄想
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無功徳
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没蹤跡