今月の禅語

2025.2.18
其の六三
採菊東籬下 悠然見南山 きくをとうりのもとにとり ゆうぜんとしてなんざんをみる

大自然に囲まれた家の垣根のそばの菊を採って、ゆったりとした気持ちで南山をみわたす。

  陶淵明(とうえんめい)「飲酒二十首」の一つです。

 世の中のわずらわしい事柄から離れて静かな生活を送る。庭先で菊を摘み、ゆったりと南の山を見ている、そんな姿です。悠然としているのは南山でしょうか、自分でしょうか。

 大自然の中で心おだやかに、悠然と自然の息吹を感じる。大いなる命に抱かれていることに気づいた時、見るもの聞くもの、すべてのものはありのままに救われているんだ、と会得することでしょう。仏法世法、共に超越した心静かな人の境地を示しています。

 さらにこの後、「山気日夕(さんきにっせき)に佳(よ)く、飛鳥(ひちょう)相い与(とも)に還(かえ)る。此の中に真意有り、弁ぜんと欲して已(すで)に言を忘る」と続きます。澄み切った冷気の中にたたずんでいると秋の夕暮れが迫ってきて、ふと人生の意味を悟ったかに思えたけれど、言葉にあらわそうとしてもできなかった、という意味です。陶淵明の言葉は多く禅語にとり入れられ、仏道をきわめた人の境地をあらわすものとして広く知られています。

出典:陶淵明「飲酒」その五

廬を結んで人境に在り、 而も車馬の喧しき無し。君に問ふ何ぞ能く爾るやと、心遠ければ地自づから偏なり。菊を采る東籬の下、悠然として南山を見る。山気日夕に佳く、飛鳥相い与に還る。此の中に真意有り、弁ぜんと欲して已に言を忘る。

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

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