今月の禅語

2025.3.29
其の六四
山花開似錦 澗水湛如藍 さんかひらいてにしきににたり かんすいたたえてあいのごとし

 山に花が咲いて、その色と山の緑が調和して見事な錦のようだ。漫々と湛える谷川の水は、藍のように深く美しい。

 中国宋代の禅僧・大龍智洪(だいりゅうちこう)禅師の言葉です。

 山に花が咲き乱れてまるで錦を広げたようです。谷川も水をたっぷりと湛え、深い藍色が見事です。景色は四季折々に移り変わるけれども、秋にはまた素晴らしい景色が見られることでしょう。

 この言葉の本来の意味は、「この身滅びますが、絶対に変わらない不変の真理とはどのようなものですか」という質問に対する答えなのでした。花も水も次々に移り変わってゆきます。世の中に変わらないものなどはありません。しかし、逆に一瞬一瞬に移り変わる現象の中にこそ、実は永遠不変の真理がありありとあらわれていることを示しています。

 花は散れども、再び花開きます。水は滔々(とうとう)と流れて常住(じょうじゅう)。私たちも花のごとくに、水のごとくにさらさらとよどみなく生きてゆきたいものです。この一瞬がすべてであります。実は、不老不死の秘宝はここにあります。

出典:『碧巌録』第八二則

僧、大龍に問う、色身は敗壊す、如何なるか是れ堅固法身。龍云く、山花開いて錦に似たり、澗水湛えて藍の如し。

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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