今月の禅語

2025.10.30
其の七一
掬水月在手 弄花香滿衣 みずをきくすればつきてにあり はなをろうすればこうえにみつ

水を両手ですくえば、月が手に一杯。花をもてあそべば、全身に香りが一杯。

 手の中に月が、着ている服に花の香りが。

 干良史(うりょうし)の「春山夜月(しゅんざんやげつ)」と題する五言律詩(ごごんりっし)の第三句、第四句に歌われています。

 春の山に花見に出かけ、時が経つのを忘れて遊び、ふと川の水を両手で掬(すく)い上げたらなんと月が映った、ああ、もう夜になろうとしている。

 自分は一人だと思うことがありますね。大勢の人の中に居ながら孤独を感じることもあります。逆に、一人きりで生活していても、何かに包まれていると感じて満たされることもあります。

 学生時代、インドの霊鷲山(りょうじゅせん)で風に吹かれて、その風に釈尊の存在を身近に感じた時、あたたかい充実感がありました。気がつけばいつも自分の手の中には月(仏心)があり、全身を花の香り(仏性)が包んでいる、この心を山田無文(やまだむもん)老師は「大いなる ものにいだかれ あることを けさふく風の 涼しさに知る」と詠まれました。

出典:干良史「春山夜月」

春山勝事多し、賞翫して夜帰るを忘る。水を掬すれば月手に在り、花を弄すれば香衣に満つ。興来たらば遠近無く、芳菲を惜しんで去かんと欲す。南に鳴鐘の処を望めば、楼台は翠微に深し。

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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