今月の禅語
金のかけらは大変効果で貴重なものだが、目の中に入れば単なる邪魔な影になる。いたたた。
おやおや、装飾品を身につけた方が目の前の金塊に心を奪われています。文字通り目がくらんでいるようです。これではきちんとした判断ができそうにありませんね。
「金屑(きんせつ)貴しと雖(いえど)も、眼に落ちて翳(えい)と成る」。「翳」は「かげ」。金のかけらは貴重で価値があるものですが、ひとたび目の中に入れば痛くて平常心を失うただのゴミにしか過ぎません。
私たちはともすると尊いもの、聖なるもの、清浄なるものを理想として追い求めてしまいがちですが、それらを絶対視してしまうと、かえって執着(しゅうじゃく)のもとになって正しい物の見方ができなくなります。いかに尊い仏様の言葉でも、大事にするがあまりそれにこだわり過ぎるとかえって毒となります。目をくらまされないように気をつけなければなりません。ありがたがってばかりでは本質は見えません。たとえ悟りを得たとしても、それにこだわっているようでは本物ではありません。
出典:『臨済録』勘弁
侍(王常侍)云く、経も又た看せず、禅も又た学さず,畢竟箇の什麼をか作す。師云く、総に伊をして成仏作祖し去らむ。侍云く、金屑貴しと雖も、眼に落つれば翳と成す、又た作麼生。師云く、将に為えり、你は是れ箇の俗漢と。
この連載について
禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。
禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。
「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。
ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。
「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学
禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
☎0855-42-0830(隆興寺) mail:Seki56old@iwamicatv.jp
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直指人心 見性成仏
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教外別傳 不立文字
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諸悪莫作 衆善奉行
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心外無法 満目青山
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龍吟雲起 虎嘯風生
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潜行蜜用 如愚如魯
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從門入者 不是家珍
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好雪片片 不落別處
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入鄽垂手 爲人度生
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四十九年 一字不説
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銀碗盛雪 明月藏鷺
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如撃石火 似閃電光
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鞍上無人 鞍下無馬
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萬法帰一 一亦不守
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天上天下 唯我独尊
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至道無難 唯嫌揀擇
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劍去刻舟 守株待兎
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應無所住 而生其心
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一日不作一日不食
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張公喫酒李公醉
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一葉落知天下秋
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十字街頭破草履
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朝聞道夕死可也
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説似一物即不中
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明歴々露堂々
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空手來空手去
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瞋拳不打笑面
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山花咲野鳥語
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吾道一以貫之
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日々是好日
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平常心是道
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一鏃破三關
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壺中日月長
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大道透長安
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獨坐大雄峯
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好事不如無
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歩歩清風起
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把手共行
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己事究明
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安心立命
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行住坐臥
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不易流行
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灰頭土面
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啐啄同時
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且坐喫茶
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一期一會
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行雲流水
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拈華微笑
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廓然無聖
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冷暖自知
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光陰可惜
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賓主互換
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活潑潑地
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眼横鼻直
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照顧脚下
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主人公
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莫妄想
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無功徳
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没蹤跡