今月の禅語

2025.9.30
其の七◯
松無古今色 竹有上下節 まつにここんのいろなく たけにじょうげのふしあり

 松の緑は時を経ても変わることがない。。竹には自ずと上下の節がある。それぞれが、あるがままの姿で真実です。

 中国南宋の大潙祖瑃(だいいそちゅん)禅師が、「潙山(いさん)禅師の流儀はどんな風ですか」と問われた時の答えです。

 松の葉は、四季を通じ、また年を経ても古今に変わりなく常に一様の緑を見せています。一方、竹には上下の節があり、いかなる時も判然たる区別があります。どちらが良くてどちらが劣っているということはなくて、それぞれがそのままの姿で、あるがままに完成されています。

 また、この世界は、古今変わることのない松の緑に象徴される平等相と、竹の節に象徴される差別相とで構成されていることを示す言葉でもあります。松の緑は、今も昔も変わらない普遍的な仏の教えの象徴であり、節のある竹は、変化・差別ある現実の象徴と解釈できます。

 松といい竹といい、それぞれが本分をまっとうして生きています。私たちも、お互いにかけがえない本分を生き抜いて、それぞれの使命に従っていきいきと輝いて生きてゆきたいものです。

出典:『五燈会元』巻一八「潭州大潙祖瑃禅師」条
僧問う、如何なるか是れ潙山の家風。師曰く、竹上下の節有り、松に今古の青無し。

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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