今月の禅語

2021.10.1
其の二七
壺中日月長 こちゅう じつげつながし

楽しい時には時間を忘れます。でもそんな時はまた速く過ぎますね。

 「壺中(こちゅう)」は悠久の時が流れる別天地。「日月長し」とは、時間の過ぎるのがゆっくりだという意味ですが、ここでは時間的制約や束縛がないことと捉えます。つまり、時間を超越した安らぎの世界のたとえです。

 これは次のような話に由来します。後漢の時代、汝南(じょなん=河南省)の費長房(ひちょうぼう)という役人が、市中で薬を売る一人の老人に身を変えた仙人にいざなわれて壺の中に入りました。すると、そこには別天地が広がっており、立派な宮殿の中で美味しいお酒やごちそうの歓待を受けます。やがて費長房はそこで仙道の修行を授けられることになり、十日ほど経ったと思い現実世界に帰ってみると、なんと十数年も経っていたというのです(『後漢書』方術・費長房伝)。

 狭いお茶室の中の清らかで静かな時間や、小さな草庵に隠棲する道人の束縛のない悠々自適の境地とみることもできますが、心が静まっていれば、どこにいても同じ。一瞬の中に、永遠の心の安らぎを見出しましょう。

出典:『虚堂録』巻八

寿崇節の上堂。至人化を垂れて、形儀有ることを示す。満月の奇姿を開き、山天の瑞相を蘊(つ)む。会すや。主丈を卓して、只だ池上の蟠桃の熟するを知って、覚えず、壺中日月の長きことを。

 

 

 

 

 

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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