今月の禅語

2022.1.1
其の三十
日々是好日 にちにち これこうにち

晴れてよし降ってまたよし曇りよし。

 晴れの日も雨の日も、楽しい日も辛い日も、その一日一日が最上最高で、かけがえのない日である、ということ。唐代の禅僧で雲門宗の祖とされる雲門文偃(うんもんぶんえん)の言葉として有名です。過去を悔やまず、未来に望みを託さず、主体的に今、ここのみを生きる安心立命(あんじんりゅうみょう/其の二十参照)の境地です。

 人生にはもとより様々な苦しみや喜びが伴いますが、笑う時には徹底して笑い、泣く時には徹底して泣き、怒る時には徹底して怒って、しかも感情に一点のこだわりもとどめなければ、境遇や感情に翻弄されることはなく、どこにいても主人公となることができます。

 なお、吉日も凶日も人が作り出したものにほかなりません。吉日であっても悪事を行えば、もとより悪い結果をもたらし、凶日に善事を行えば善い結果を生むのが、当然の道理であります。

 「晴れてよし、雨降りてよし、ふじの山、もとの姿は変わらざりけり」は山岡鉄舟の言葉です。

 

出典『碧巌録』第六則

雲門垂語して云く、十五日已然は汝に問わず、十五日已後、一句を道い将ち来たれ。自ら代って云く、日日是れ好日。

 

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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