今月の禅語

2019.10.1
其の四
主人公 しゅじんこう

私の人生は私が主人公です。さあ幕が開いた。

 「主人公」とは、主体的な本来の自己。人間性の根元。絶対的主体性。    かつて、瑞巌和尚という方は、毎日自分自身に「主人公」と呼びかけ、自分でハイと返事をしていました。「はっきりと目を醒ましているか」「ハイ」。「これから先も人にあざむかれてはいけませんよ」「ハイ、ハイ」といって、毎日自分に言い聞かせていたといいます。    誰もが人生の主人公。ただ、ここでいう主人公とは、なにものにも固定化されたり限定されることのない根元的な本来の主体的自己です。この本来の自己は何の妨げもなく、活き活きとして自由自在です。    しかし、私たちはすぐに自分と他人を比べて、自分で自分を固定化したり限界を設けたりして、本来の自己を見失いがちです。だから、どんな時でもこの本来の自己をはっきりとつかんでいることが大切です。    さあ、今日一日の幕が開きました。それぞれの人生にただ一人。かけがえのない主人公を行じてゆきましょう。 出典:『無門関』第一二則 瑞巌彦和尚、毎日自ら主人公と喚び、復た自ら応諾す。乃ち云く、惺惺著、喏。他時異日、人の瞞を受くること莫れ。喏喏。 © Since 2018 Jidanda

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
☎0855-42-0830(隆興寺) mail:Seki56old@iwamicatv.jp