今月の禅語

2023.1.5
其の四二
應無所住 而生其心 おうむしょじゅう にしょうごしん

心に住みかはありません。なのに生き生き働いています。

 会社員風の人が大きなボールの上に乗っています。ひとつのところにとどまることなく、常に動きながら自由自在に歩みを進めているようです。

 「応(まさ)に住する所無くして、その心を生ずべし」。何事に対しても執着(しゅうじゃく)や欲望、取捨(しゅしゃ)などの気持ちを一切抱くことなく、心を用いなければなりません。とらわれのないところから、自由自在に心を宿して生きましょう。とどまる心から執着が起こります。

 山田無文(むもん)老師「水の如くに」の詩のように、どんなに楽しいことがあっても、どんなに悪いことがあっても、その楽しさを喜びながら、その憂いを悲しみながら、後ろを振り向かずに前へ前へ。流れる水は凍らないとか。流れる水は腐らないとか。それが生きているということでしょう。流れる水の如くによどみなくさらさらと流れたいものです。どこにも心を奪われることなく、あるがままに自由に行動してゆくというのが、私たちの生き方といえるでしょう。

 

出典:『金剛経』

応に住する所無くして、其の心を生ずべし。

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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