今月の禅語

2023.3.1
其の四四
至道無難 唯嫌揀擇 しいどうぶなん ゆいけんけんじゃく

道をきわめるということは、難しいことではない。ただ、えりごのみを嫌うだけです。

 クジラは世界で一番体が大きい種類の生き物といわれています。たくさんの小魚を丸呑みすることなどたやすいこと。えり好みをせずに海水ごといっきに丸呑みしてしまいます。

 …たとえば、です。サンマやイワシは食べるけれど、サバは嫌いだからやめておこう。クジラがもしそう思ったら、それはたやすいことなのでしょうか。

 禅の立場を簡潔な言葉にまとめた『信心銘(しんじんめい)』の冒頭に「至道無難(しいどうぶなん)、唯嫌揀擇(ゆいけんけんじゃく)。但(た)だ憎愛(ぞうあい)莫(な)くんば、洞然(とうねん)として明白(めいばく)なり」とあります。「道に至るには難きこと無し」、究極の仏道は難しいものではありません。「ただえりごのみを嫌う」、取捨選択さえしなければそれでよいのです。憎んだり執着したり、そんな煩悩さえなくせば、すべてはすっきりとして明白なのだ、と。思慮分別が人の心を迷わせます。不平不満の心を起こさず、もっと自由になんでも楽しみましょう。道は近きにあり。あるがままの心の平和に気づくはず。

 

出典:『信心銘』

至道無難、唯嫌揀擇。但だ憎愛莫くんば、洞然として明白なり。

 

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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