今月の禅語

2023.7.1
其の四八
如撃石火 似閃電光 げきせっかのごとく せんでんこうににたり

 石をたたいて火花がぱっと散るが如く、稲妻が走るかのようだ。ぐずぐずするな。常に「いま、この瞬間」が勝負。

 おや、雲のあいだに見えるのは、カミナリ様でしょうか。すさまじい形相で、雷を起こしています。

 「撃(げき)、石火の如く」、火打ち石をたたいて火花が散るように。「閃(せん)、電光に似たり」、稲妻がズバッと走るように。いずれも一瞬の輝きであり、次の瞬間には跡形をとどめません。文字通り電光石火のように跡形を残さない瞬発的な動きを言います。

 こんな風に輝こうとか、こんな風にきらめこう、こんな風に見せたいという思いは一切ありません。作為のない、刹那(せつな)にあらわれるはたらきです。あれこれ逡巡(しゅんじゅん)していると機会を逃してしまいます。何のはからいもない、無心にはたらき出る行動が大事です。スピーディーに、力強く。自分の功績を振り返って自慢することもない。そのような勇しくも爽やかな生き方を目指したいものです。ぐずぐずしてはいけません。常に「いま、この瞬間」が勝負です。

 

出典:『碧巌録』第七則

知らず、古人、凡そ一言半句を垂示するに、撃、石火の如く、閃、電光に似て、直下に一條の正路を撥開することを。

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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