今月の禅語

2023.12.1
其の五三
從門入者 不是家珍 もんよりいるものは これかちんにあらず

 門の外から入ってくるものは、家宝となり得ない。はい、どうぞ。

 子どもが打ったボールが家の中に飛び込んできたようです。これは私のものではない、よそ様のもの。はい、どうぞ。

 最近は、携帯電話やインターネットを通じて、いろんな情報がたちどころに手に入ります。便利な世の中になったものです。でも、外に広がる魅惑的な世界を眺めるのに忙しくて、ゆっくりと自分自身を省みる時間をなかなか持てません。

 物の豊かな時代。何でも手に入ります。買い物、おいしいものと外から入ってくるものを追い求めているうちに、自己を養う機会が得られないまま年をとってしまっては、かけがえのない人生を棒に振ることになってしまいます。

 「門より入るものは、これ家珍(かちん)にあらず」。外から入って来たものは、家宝となり得ません。外に向かって求めては道を誤ります。本来私たち自身が持っているもの、自分の心の中からほとばしる思い、それこそ家宝、一番大切な物なのです。

 

出典:『無門関』

仏語心を宗と為し、無門を法門と為す。既に是れ無門、且らく作麼生か透らん。豈に道うことを見ずや。門從り入る者は、是れ家珍にあらず。縁に依りて得る者は始終成壞す。

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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