今月の禅語

2024.10.25
其の五九
教外別傳 不立文字 きょうげべつでん ふりゅうもんじ

 教理のほかに伝えるものがあります。文字を用いません。この世の真実は、教理や文字では伝えられません。

 おや、猫が気持ちよさそうにねそべって顔を洗っています。その下には難しそうな書物を敷いていますが、大事なことは別にある、とばかりに意に介さずすまし顔です。

 禅宗の肝心かなめのところは経典や教理、文字による表現では伝えられないという立場を示しています。これは『般若経(はんにゃきょう)』以来の「真理は言説できないという本質を持つ」という立場を受け継いだものです。

 仏教は長い年月をかけてインドから中国、さらに日本に伝わってまいりましたが、国や文化、時代が異なれば、自ずとその言葉や文字の意味も変わります。言葉や文字というのは案外曖昧なものです。では教理や文字を離れていったい何を伝えるのかといえば「こころ」であり、文字は「こころ」を表現する「かりそめの手段」とするのが禅の立場です。

 真心をもって接する。それだけで相手に伝わるものがあります。

出典:『無門関』第六則

世尊、昔、霊山会上に在って、花を拈じて衆に示す。是の時、衆、皆、黙然たり。惟だ迦葉尊者のみ破顔微笑す。世尊云く、「吾に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙法門有り。不立文字、教外別伝、摩訶迦葉に付嘱す」と。

 

 

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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