今月の禅語

2025.1.21
其の六二
風定花猶落 鳥鳴山更幽 かぜしずまってはななおおち とりないてやまさらにゆうなり

 風が静まっている中、花がはらっと落ちる。鳥が鳴いて、山の静けさが一層深まる。

 「風定まって花猶(な)お落つ」。風が吹いていて花が落ちるのは当たり前です。しかし風は微動だにしないのに、椿の花か何かがポトンと落ちる。それだけでは単に情景を歌っているだけですが、その後に「鳥鳴いて山更に幽なり」と続きます。鳥がピーともカーとも鳴かないのは、もちろん静かです。けれどそこに一声、キジが「ケーン」と鳴くと、静けさがさらに際立ちます。単なる静けさではありません。静けさの中に動きがある。動きがあるからよけいに静かだ。松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」、あるいは「閑けさや岩にしみ入る蝉の声」という句と同じ趣向です。

 私たちの心もそうです。何も思わずにぼーっとしているのは静かであるかもしれませんが、それは本当にぼーっとしているだけのこと。やはり花を見てきれいだと思い、月が出ると仰いで愛でる。静かな中に、一つの心の動きがあってはじめて、心は静かだといえましょう。

出典:王安石「集句詩」

風定まって花猶お落ち、鳥鳴きて山更に幽なり。

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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