今月の禅語
美しい花を見てほほえむ人は、仏の心のわかる人。あなたの喜びは私の喜び。
お釈迦様が霊鷲山(りょうじゅせん)における説法の際、無言のまま花を聴衆に見せたところ、そこにいた大勢の弟子たちはその意味を察することができませんでしたが、摩訶迦葉(まかかしょう)という弟子だけがにっこりと微笑み、お釈迦様の心を受け継いだという話にもとづいた言葉です。この寓話は、もとは『大梵天王問仏決疑経』に見られ、お釈迦様が摩訶迦葉に正法(しょうぼう)を授けたという伝灯の起源となっています。
悟りは言語的な理解によって伝わるものではありません。師と弟子の心が何の媒介もなく一つになったところに共有されるのではないでしょうか。私たちの心も同じ。お釈迦様は一言も発せず、ただ花を見せただけでしたが、摩訶迦葉は、「この花のなんと美しいことか」というお釈迦様の心と同じ心になれたのです。あなたの喜びを自分の喜びと受け取ってゆける人になりたいものです。
出典:『五燈会元』巻一「釈迦牟尼仏」条
世尊霊山会上に在って華を拈じて衆に示す。是の時、衆、皆な黙然たり。唯だ迦葉尊者のみ破顔微笑す。
この連載について
禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。
禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。
「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。
ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。
「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学
禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
☎0855-42-0830(隆興寺) mail:Seki56old@iwamicatv.jp
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直指人心 見性成仏
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教外別傳 不立文字
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諸悪莫作 衆善奉行
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心外無法 満目青山
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金屑雖貴 落眼成翳
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龍吟雲起 虎嘯風生
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潜行蜜用 如愚如魯
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從門入者 不是家珍
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好雪片片 不落別處
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入鄽垂手 爲人度生
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四十九年 一字不説
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銀碗盛雪 明月藏鷺
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如撃石火 似閃電光
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鞍上無人 鞍下無馬
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萬法帰一 一亦不守
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天上天下 唯我独尊
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至道無難 唯嫌揀擇
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劍去刻舟 守株待兎
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應無所住 而生其心
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一日不作一日不食
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張公喫酒李公醉
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一葉落知天下秋
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十字街頭破草履
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朝聞道夕死可也
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説似一物即不中
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明歴々露堂々
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空手來空手去
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瞋拳不打笑面
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山花咲野鳥語
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吾道一以貫之
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日々是好日
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平常心是道
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一鏃破三關
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壺中日月長
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大道透長安
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獨坐大雄峯
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好事不如無
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歩歩清風起
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把手共行
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己事究明
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安心立命
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行住坐臥
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不易流行
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灰頭土面
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啐啄同時
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且坐喫茶
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一期一會
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行雲流水
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廓然無聖
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冷暖自知
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光陰可惜
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賓主互換
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活潑潑地
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眼横鼻直
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照顧脚下
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主人公
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莫妄想
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無功徳
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没蹤跡