今月の禅語

2020.8.2
其の十四
一期一會 いちごいちえ

人生一度きり、かけがえのない出会いを大切にしましょう。

 一生に一度の出会い。一期とは一生のこと。たとえ、これまで何度出会ってきたとしても、あるいはこのさき何度出会うとしても、いまこの瞬間の出会いはもう帰ってきません。いまこの瞬間は一度きり。だからこそ、一瞬一瞬をおろそかにせず、大切にして人と交わりたいものです。

 千利休の弟子の山上宗二(やまのうえそうじ)はその著『山上宗二記』の中で「一期に一度の会」といっています。これを受けて、茶の湯の心得があった幕末の大老である井伊直弼は『茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう)』の冒頭で次のように言っています。

 「茶湯の交合は、一期一会といひて、たとへば幾度おなじ主客交合するとも、今日の会にふたたびかへらざる事を思へば、実に我一世一度の会也、去るにより、主人は万事に心を配り、聊(いささ)かも麁末(そまつ)なきやう深切実意を尽し、客も此会(このかい)に又逢ひがたき事を辨(わきま)へ、実意を以て交るべき也、是を一期一会といふ」

 いま、こうして出会えたことへの感激と感謝を持って人と接してゆきたいものです。

 

出典:『山上宗二記』

常の茶湯なりとも、露地へ入より出るまで、一期に一度の会のやうに亭主を敬ふべし。

 

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

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禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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