今月の禅語

2021.2.3
其の二十
安心立命 あんじんりゅうみょう

すべて仏様におまかせだ、ああ安心。悩み事などありません。

 「あんしんりつめい」ともいいます。安心(あんじん)は仏教の言葉。立命は儒教の言葉。自分の命は天から授かったもので、人為によって損なわれることがない、という意味です。

 達磨大師が嵩山(すうざん)で坐禅面壁(ざぜんめんぺき)していたところに、後に禅宗の二祖になる慧可(えか)が訪ねていきました。慧可は様々な仏教の書物を読み、学んだことを訴えます。しかし、学べば学ぶほど解らなくなり、このうえは大師にすがるほかないと思い詰めて、はるばる訪ねてきたのです。「この不安な心を救ってください」と彼は訴えます。すると大師は「その不安な心を出しなさい、安心させてあげよう」と答えました。この瞬間、心に実体がないことにハッと気づき、慧可はお悟りを開いたのでした。人間の本当の悩みはモノでも金でもなく、迷う心にあるのですね。

 身も心も仏様にあずけて、天命のままに生きてゆく。そこに悩み事などありません。

 

出典:『禅林句集』

安心立命。

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
☎0855-42-0830(隆興寺) mail:Seki56old@iwamicatv.jp