今月の禅語

2026.1.20
其の七四
三日不相見 莫作舊時看 さんじつしょうけんせずんば きゅうじのかんをなすことなかれ

たった三日会わないうちに、あなたまあ大きくなって…。向上の道に限りはありません。

 中国唐末、雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師の語として知られています。人は三日会わなければ、前に会った時のイメージで見てはならない、という意味です。

 昨日まで赤ちゃんだと思っていたのに、いつのまにか歩き出して言葉までしゃべり出す。私たちは自分が日ごとに変わっている自覚がないので、他人の成長にも鈍感な時があります。

 子どもが成長するということは、身体が大きくなるだけではありません。なかなか言うことを聞かないやんちゃな子が、いつの間にかしっかりした大人になって自分の前に現れるなんて、よくあります。駄目だ駄目だと思っていた若い社員が、きっかけさえ掴めればあっという間に有能な社員に変身するのです。人ごとではありません。自分もそれだけの成長があったと人に思ってもらえるでしょうか。

 この語は、明代の『三国志演義(さんごくしえんぎ)』で「士別れて三日なれば刮目(かつもく)して相待(あいたい)すべし」という語になり、日本では「三日会わざれば刮目して見よ」という慣用句として知られています。

出典:『雲門広録』巻二

一日云く、三日相見えざれば、旧時の看を作すこと得ざれ。作麼生。代わって云く、千。

 

この連載について

 禅語とは禅の教えを端的に示した言葉です。悟りの境地を示していたり、修行者を悟りに導いたりするために用いられてきました。仏のこころはお釈迦さまから弟子へと、器の水を残さず次の器に移すが如く連綿と受け継がれていき、28代目の達磨大師により坐禅を仏道修行の中心に据えて、インドから中国に伝えられたとされています。

 禅語には禅僧が自身の悟りの境地を示したもののほかに、仏教経典、中国古典、詩文集等の様々な文献からも引用されています。今日では、床の間に掛けられた掛軸(墨蹟)に書かれた言葉として目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

 「不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)(文字は全てを表現できず、文字で表現し尽せないところに伝えるべき核心がある)」という禅の家風もあり、禅語はその字義だけを考えても意味の分からないものもあります。禅仏教では自身の実践を重視しますが、禅語の紹介を通して皆様自身が字義の奥に潜む本当の意味、祖師方が伝えんとしてきたものを感じて頂けると幸いです。

 ここでは禅的教育研究グループ「じだんだ」の発行した「禅語カルタ百句」を紹介していきます。「禅語カルタ百句」は難解なイメージを持たれがちな禅語に如何にして親しんで貰うかというテーマのもとに製作されたカルタです。イラストが理解の助けとなり、禅語に触れる第一歩として適したものとなっております。じだんだ代表の柳楽一学師の許可を得てここに掲載してまいりますが、「禅語カルタ百句」にご興味の方は下記までご連絡願います。

 「とっつきにくい禅語に入っていく開かれた門となれば幸いです」柳楽一学

禅的教育研究グループ「じだんだ」 代表:柳楽一学
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